いや~参ったね~。年末って色々重なるとはいうんですが、今年最後のバイトのかきいれ時に息子発熱。焦って保育園から連れて帰って病院に行ったけれど、その後も三日間熱が下がらず「インフルか…」と覚悟した途端、というか検査してもらうために三日目の朝にもう一度病院行ったら熱が下がってズゴー!っとなった母です。風邪でした。
いやでも風邪とはいえ、侮れないからもう2、3日様子見です…でもインフルエンザじゃなくて良かった…。
まあそんな感じで、看病でへろへろになっていたのですが、夜に息子が寝入ったあと、ヤケクソのように夜中2時とか3時まで小説読んだり書いてたりしました。寝ろ…と思いつつ、そんなにまでして私は何かを書いていたいんだな…としみじみしました。
というわけで今年、2018年ですが、あり得ないくらい文字を書いた一年でした。数えるのもメンドクサイので省略しますが、今年出した同人誌のうち一冊が15万字と、来年の春コミ用に2週間で書いた同人誌が7万5000字なので察して下さい。いっぱい書いた。
今年たくさん書きながら、思い出していたのは中~大学生の頃のこと。あの頃は毎日何かを書いていた。特に自分のオリジナルの小説を。その時私の頭にあったことは、
「私は書くために生きている」
ということでした。
「ハチミツとクローバー」という漫画の主人公の一人に、はぐという女の子がいる。その子は芸術に対して天才的な才能を持ち、それを発揮していた。けれど人づきあいが苦手で、大学に入るまでは友達の一人もいなかった。そんな彼女のモノローグに、こんなのがある。
「小さい頃一度だけ神さまを見た。(中略)
「絵を描く」ということだけが「私」を「守り」「生きさせて」くれてたんだ(中略)
「もしも私が描く事を手放す日が来たら」「その場でこの命をお返し致します」」
それを読んだ時、私も一緒だ、と思った。私も書くために生きていて、書くのをやめたら多分、私が私じゃなくなって、死んでしまう。書いているからこそ、私は神さまに生かされているし、生きていられる。だから、私は死ぬまで書かなきゃいけない。
一人、パソコンに向かい、ヘッドホンからはガンガン鬼束ちひろを流しながら、私はそんなことを思いながら、ずうっと書いていた。
けれど全然そんなことはなく、時が流れ私は普通に書くことを止め、主婦としてのんびりだらだら生きていた。小説を書くことは、オリジナルの小説をいくつかの賞に送り、箸にも棒にもかからなかったことで心が折れて止めていた。ガッハッハ、現実とはそんなもんだよ10代の私。
それでも大好きな旦那と、2歳になる息子と楽しく生きていたし、これでいいのだと思っていた。
んだけど、今年の1月、なぜかぽっきり心が折れた。生きていく、ということが辛くて辛くて、泣きながら息子を連れて車で近所を徘徊するヤベー奴と化していた。
それは時が経って落ち着いていたのだけれど、ちょっとしたことで息子に怒ってしまうし、旦那とは喧嘩するし、バイトに対してもイライラすることが多くて、春過ぎまで息苦しい毎日を送っていた。
でもある日、その時既にハマっていた推しカプの小説を書いてみた。1個書いたら次のアイデアが浮かんだので、もう一つ書いてみた。その次も同じ。気付けば、2~3日に一本ピクシブに二次小説をアップする別の意味でヤベー奴と化していた。
いや、冷静に考えたら、ずっとそのカプを追っている人からしたら「おいこいつ急に出てきてヤベーペースで小説あげてっぞ」という感じだったと思う。すみません。
反応とかは気にせず(というかそこまでなかった)、ただ自分の書きたい話をアップしていた。気付いたら10人もいなかったフォロワーが50人になっていた。
夏に、公式からヤベー供給が来たおかげか、書いた話が初めてランキング入りした。びっくりしたけど嬉しかった。お盆だったので、とりあえず亡くなった大好きだったおじいちゃんに感謝した。ありがとうおじいちゃん。いや書いたのエロ小説だけど。うんありがとう。
そんなこんなで、まあたまに途切れることもあるけれど、少なくとも1週間に一本、新しい推しカプの話をアップしているうちに、フォロワーさんも増え、読んでくれる方、感想をくれる方がすごく増えた。嬉しい、本当にうれしいありがとうございます。
そしてなぜか、イライラすることががくんと減った。
息子はイヤイヤ期真っ盛りの2~3歳。時たますげ~要求をしてくる。(例:「折れたバナナを元に戻して!」「飲んだお茶を元に戻せ!」「壊したおもちゃを今すぐ買ってきて!」)前はブチ切れながら「無理!!!いい加減にして!!!」と叫んでいたのだが、今は「はいはい、無理で~す」とブチ切れずに返せるようになっている。
あまりにもひどい時も、脳内の一部を切り離し「次書くこの話、どんな風にしようかな…」と現実逃避している。そのうち切り替えの早いうちの息子はころっと遊び始めるので、私もそれの相手をし始める。
あと、仕事が忙しくなかなか息子の相手が出来なかった旦那に対しても「どうして私ばっかり!!」と思って憤ることが多かったのだけれど、今はそれがほとんどなくなった。
というか、昔付き合いだした時とか、結婚した時の頃のように、いいところとか、好きな所とかをたくさん気付くようになった。出会って10年、結婚して7年ぐらいになるけれど、やっぱり私、この人好きだなあと、毎日会うたびに思う。言ってて照れてきたわ。
私がそんな風だからか、息子も前ほど理不尽に切れることも少なくなり(単純に成長したというのもある)、旦那もなんだかいっぱい褒めてくれるようになった。そりゃそうか、家にず~~~~っとイライラしてる爆弾があったら、家の雰囲気悪くなるもんな。
バイオリズムとか、その時の調子とか色々あるんだろうけれど、でも、こんな風に家庭円満になった一番の理由は「書いてるから」だと思う。
いや不思議な部分もいっぱいあるんだけどさ…推しカプの小説書き始めて家庭円満になったとか何そのアマゾンレビュー☆5みたいなやつ…。
まあとにかく、そこで気付いたのは、
「私は生きるために書いている」
んだということだった。
最初に言っていたのと、似ているようで全然違う。
今、私にとって書くこととは、生きる為のお手伝いのようなものだ。命を削って書く、とかそういうものじゃない。でも、書いていたらちょっと楽に息が出来る。
10代の頃、「この話を書くために私は生まれてきた」と思うことがあった。そういうギリギリ限界の、血を絞り出すような話は今の私にはもう書けない。(と思う)
それでも、今書いたものを読んで、「あ~いいよ好きだよこれ」とほっこりする。そしてまた次の話書こ~とにこにこしながらパソコンや携帯に向かう。時々家事や育児で中座しながら。それが、今の私にとってのベストな書き方だと思う。
子どもが寝た後、携帯で自分が寝落ちるまで小説を書いている。音楽も聞かず、子どもの寝息を聞きながら、時々布団から転がり落ちる子どもを戻しながら書いている。
書くことだけに一生懸命だった、一人きりでヘッドホンを付けてポルノグラフィティやバンプを聞いていた私はもういない。
それでも、そんな私だから書ける話がある、と思う。というか自分が楽して生きていくために書いてんだから、何のため、とかそういうのはもういいよね、と思う。
そんなわけで今年はいっぱい色々書いた。来年も、ちょっとどうなるか分からないけれど、いっぱい書いていきたいです。
あと本当にたくさんの人にたくさん読んで頂けて、それだけですっげ~~~~嬉しい1年でした!ありがとうございます!!
感想や励ましのメッセージで、更に更に嬉しくて調子乗って書いてる感もありますので良かったらどうぞお願い致します(宣伝)→(web拍手)
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(マシュマロ)
今年1年どうもありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
田仲アナコンダ