文字と気持ちの墓場

二人の息子のおかーちゃんしながらコスプレと同人活動やってます

おばあちゃん、RTといいねはもう食べたでしょ

「そうだったかのう…」と言いながらぼんやりとツイッターの更新ボタンを何回も押してしまうあたり、とうとうボケが始まったな、と思いつつなぜかやめられない。

今日はそんなひとりごと。

 

昔から、それこそ個人のHPを持っている時代から、「カウンターの数字増えたかな~~?」と毎分ごとに更新ボタンを押すような女だった。回っていれば嬉しいし、変わっていなければしょんぼりする。来た人が中のものを見ているとは限らないが、確かに誰かが私の作ったところに足を踏み入れた、というのが嬉しかった。

 

時は流れジオンティーズもサービスを終了し、ミクシィの名前もほとんど聞かなくなってしまった。今はもっぱらピクシブツイッターで細々と色々書いている。

ありがたいことに昔に比べ、感想や反応が送りやすく、見やすくなった。小説一つ一つに閲覧数が見れ、その話ごとの反応が見られる。お手軽で簡単な良い時代になったなあ。

ツイッターだって簡単で、ボタン一つでリツイート、いいね!

昔みたいに長い文章を打って「本当に送信しますか?」と聞かれていた時代は既に遠い。懐かしいねえ。

まあそんなわけで、細々と書いている私の元にも感想や反応が届くようになった。昔の、個人HPの頃は5年くらいやってやっと拍手に一件の感想が来ただけだというのに。あの頃から考えるととんでもない量で、ありがたい言葉をむしゃむしゃしながら物を書いている。

 

けれどそれと同時にむくむくと現れるものがいる。

 

「もっと見て反応下さいババァ」だ。

 

小説をアップしたら、気になってピクシブツイッターの更新ボタンを連打してしまう。いいねやリツイート、ブクマ数が増えてれば嬉しいし、そうでなければ少し寂しい。昔の、カウンターを自分で回していた時代とあまり変わりない。キリ番自分で踏み抜いた時の悲しさよ。

「おばあちゃん、RTといいねはもう食べたでしょう!」

「そうだったかのう」

と言いながら、既にもらっているのにもっと反応が欲しくてF5を押す。

 

年取って、大人になって、子どもも産んで、それでもな~~んら、14歳のHPをタグで作っていた時と変わらない。相変わらず誰かに見てほしいし、感想が欲しい。

いや頂くようになって思ったけど、感想はシャブだ。もらえると嬉しいしモチベーションがすごくすごくあがる。でももっと欲しくなってしまう。

「一個もらったからいいでしょ!」とヘルパーさんが言ってくるが「足りんのぅ」とババァがほざいてくる。私は心の中でババァをビンタし、パソコンの前から引きずり下ろす。

 

なんなんすかね、この気持って。

 

承認欲求とかそういうの、本当に面倒くさい、と思う。まあでも折り合い付けながらやっていくしかない。

有難いことに日々のことに忙殺されていると、大分その気持ちは薄らぐ。私には生活がある。子供もいる。書くことばかり考えてられない。

そして大人になってずるくなった私は、打開策もなんとなく見つけてそれを使ったりする。ははは、素直なだけの子供とは違うのだよ私は!

ちなみに打開策というのは「アホほど書いてアホほど書いたものをアップする」です。私は一番最後にアップしたものの反応を執拗に気にするので、どんどん新しいものをアップしてしまえば、前のものは気にならなくなる…という理論。この方法は個人差あるから、用法容量良く守って使ってくれよな。

まあそんなこんなで、毎日ばたばたしつつ、毎日ばたばたと物を書いて、ばたばたと更新ボタンを押しながら、今日も反応を待つ。

そしてもらった感想は、自分でもびっくりするぐらい、だいじに大事に持っている。嬉しすぎて泣いたことだって何度もある。

ありがたいなあ、とお返事するけど文章が下手なので上手く伝わらない。だからせめて、と新しい物を書く。

 

今日もこうして久々にブログを書くと、多分ババァが「アクセス数はどんなもんかのう」と顔を出すけどまあしゃーない。私はこうなんだ。だからまあ、承認ババァと一緒に暮らしていく。

そんなひとりごとでした。おしまい。