文字と気持ちの墓場

二人の息子のおかーちゃんしながらコスプレと同人活動やってます

ポロっと出てきた高校時代の話

メモ帳整理していたら、高校時代の思い出の話が出てきたのでこちらにアップいたしますね。

多分なんかのエッセイの賞に応募した名残だと思います。

厨二病から脱しきれない方々に向けて、どうぞ。

 

 

 

いつでも高校生活最後を過ごした教室に戻れる。記憶の中で、光の加減や、窓から見えるグラウンドの景色まで覚えている。
私は別に、そんなに学校が好きではなかった。勉強を楽しいと思ったことはないし、友達もそこそこいたけれど、一生を共にする親友は出来なかった。部活は夢中になったけど、今はあの大切にしていた技術や知識を、全く使わずに生きている。
自分の中に閉じこもって、死にたいと泣いたことは一度や二度ではないし、学校に行きたくなくて休んだ日も何日もあった。
それでも、私は卒業式の日の、朝の教室を覚えている。
忘れてはならない、と必死に覚えたからだ。
私は朝早いバスで登校していた。もちろん、いつも一番に教室に着く。
学校は好きになれなかったけど、その誰もいない教室は、心地よかった。
教室は数年前に建て替えられたぴかぴかのもので、ドアは優しい薄い茶色。丸い窓が開いている。机も綺麗だけれど、いくつかにはもう傷がついている。黒板はとても大きい。その前にある教卓は、今は誰もおらずしんと佇む。
今日が卒業式だから、ほとんどの机やロッカーは空っぽだ。
大きな窓からは、グラウンドが見える。誰もいない。良い天気だったから、光が教室の中に入ってくる。そのきらきらした光が、とても好きだった。
電気を点けない教室で、その光を見ることが出来るのは一番に来た私だけだった。
もうここに来ることは二度とない。
だから私はこの情景を必死に覚えた。
10年経った今でも、心を静かにすればその教室に帰って来られるように。
好きではなかったけれど、帰る場所でもないけれど、私が確かにいた場所だから。
勉強の内容や、友達の顔、先生の名前は忘れても、あの日の教室のことは忘れないだろう。そして、たまに私はそこに行くだろう。
私の人生の中で、私を育んできた場所。教室はその一つだ。たくさんある中のたった一つだけれど、私はこの記憶を手放さない。
いつか、自分が死ぬ時、もし走馬灯というものを見るのなら、きっとあの教室にも私はまた立つのだろう。
その日がなぜか、少しだけ待ち遠しいのだ。