文字と気持ちの墓場

二人の息子のおかーちゃんしながらコスプレと同人活動やってます

理由を探した話

お久しぶりです。

長い文が書きたくなってブログを開きました。たまにこういうことあるよね。

 

長い上にちょっと暗い話です。今はまぁまぁ元気です。



息子が2歳になった途端、親子でバタバタと大きな風邪にかかってしまい、一週間近くぐったりしていた。
その時、本当に久しぶりに、ものすご〜〜く死にたい気持ちになった。

自分の体調が悪い、というのもあったし、バイトのことや、家のこと、とにかく色々小さなことが積み重なって、その気持ちになった。
ここ数年、大きい出来事で「も〜〜〜死にてぇ〜〜〜」というのはあったけれども、そういう小さな日常の積み重ねで死にたくなったのは久々だった。ショックだった。
でもあまりにも日々落ち込んでいて、具体的にどうしたらいいのか検索して、このまま買いに行ける、行ってしまおうかと、息子を連れてぐるぐる運転したりしていた。
息子は車に乗せると機嫌よくしていたが、家で二人だと機嫌悪く暴れて、それもしんどかった。
それもあって、アテもなくドライブを続けていたが、泣きながら、重たい気持ちで運転していた。

世界で一番私が頑張っているのに、誰も私のことわかってくれない、と思っていた。
私は世界で一人きりだ、と思った。

それはとても悲しいけれど、自分の可哀想さに酔えるような、ちょっと甘い気持ちにもなった。

死ぬことを考える、というのは、日常を離れられる想像だった。
私は多分、悲しい気持ちだったけれど、少し自分の状態にうっとりもしていたんだと思う。

かわいそうな私。
私がいなくなったら、みんな泣いてくれるかな、という、中学二年生みたいな気持ちだった。

毎晩眠るのが嫌だった。明日になるのが嫌だった。
頼むから、このまま目を覚ませないで、と祈っていた。

そんな時、息子の寝かしつけにひぃこら言って、やっと寝た息子の背中をさすっていた。
思ったより小さな背中だな、と思った。
大きくなったけれど、それでもこの子はまだ小さいんだな、だったらやっぱり、まだ側にいなきゃいけないよなぁ、と思った。

現実は小説や漫画とは違うので、そのことがきっかけでいきいきと復活しました!というわけにはいかないけれど、だんだん体調が戻ってきて、それとともに死にたい気持ちもなくなっていった。

死にたい気持ち、というのは物心ついたときからずっと私に付いて回っていて、切り離そうと思ったけれども、もうどうしようもないくらい私の一部になっている。

この気持は多分私が死ぬまで付きまとってくるし、離せないのだと思う。

 

だから理由を作ろう、と思った。死ねない理由。

今回みたいに、息子まだ小さいなぁ、いてやらなきゃなあ、とか、あの漫画の続き、まだ読んでないなあ、とか、あのコスのあわせの予定、行きたいなあ、とか、そういう日常の小さな積み重ねでいいのだ。

日常の大事なものをかき集めて、それに後ろ髪引かれるように生きていこう、と思った。

 

今日はとりあえず天気がいいので、やっとこさ重い腰を上げて息子のプールを綺麗にした。

また来年、息子がそこで遊ぶのを見届けないといけないから、やっぱりまだ死ねないな、と思った。

 

おしまい